『良い酒が手に入ったのだ、飲みに来んか?』

桂からそんな電話があったのは、神楽も眠り新八も帰宅したあとの午後10時を回っていた。もう夜も良い時間に黒電話が鳴った時は心底げんなりした。こんなに時間に例えば依頼が来たとしても厄介なものであることは大体想像がつく。だが鳴りやまない電話をそのままにしておくと神楽が起きるかもしれないし、近所の迷惑にもなる。少し迷った挙句、銀時はため息をついて受話器を取った。

「あー万事屋銀ちゃんですけど、おたく何時かわかって」
『銀時?』
びっくりしすぎて、思わず受話器を落とすところだった。寸でのところで受話器を握り直し、小さな音も聴き零さないように受話器をぴったりと耳に付ける。
「えっえっヅラ?」
『ヅラじゃない桂だ』
「ヅラじゃん…、えっなにどうしたの、お前が電話してくるとか珍しーな」
思わぬ桂からの連絡に、自分の気持ちが浮足立っているのが分かる、声が浮ついていないか、普段と変わらないか、ごまかす様に少しだけ早口になる。
そして暫くの間の後、返ってきたのが冒頭の台詞である。銀時は客間の机に簡単な書きお気を残して、急いで家を出た。
今日は綺麗な満月で、夜道を明るく照らしていた。流石にこの遅い時間、外を歩いている人は少ない。いつもはだらだと歩く道を、銀時は早足で進んでいく。最後に桂と会ったのは、いつだったか。恐らくひと月は経過している。桂の声を電話越しに聴いた瞬間、ぶわっと心の奥に隠れていた気持ちが溢れだしてきた。早く、早く、会いたい。口が裂けても言えない言葉を、言った事などない言葉を、銀時は胸の内に秘めながら、出来るだけ早足で桂の隠れ家へ急いだ。
途中、連なる家屋の間に、ぼんやりと灯りが灯っている家があるのに目が入った。その家の前には沢山の花が道路にまで並べられていた。銀時はその光景に驚いて思わず足を止めた。入口には看板もあり、どうやら花屋らしい。こんなに夜遅くまでやっている花屋を知らず、銀時は店に近寄り、中を窺った。その辺りにある花屋と、何一つ変わりは無い。暗い中ぼうっと光るこの店の灯りが、少しだけ不気味に感じられたが。立ちつくしていると、誰かが店の奥から出てきた。
「何かご用ですか?」
丁寧に話しかけてきたのは、女性の店員だった。エプロンをつけて、これまたそこいらの花屋と何ら変わりない。ただこの時間帯と、静かな住宅街にあるということが、怖がりな銀時を少し不安にさせた。
「いや、用ってわけじゃ…ただこんな時間に珍しいなと」
銀時が隠さず言うと女性は可笑しそうにくすくすと笑った。
「よく言われます。でも結構お立ち寄りして頂くんですよ」
「そうなの?」
「はい、うちは、18時から24時までやっています。主に買って行かれるのは、サラリーマンの方が多いですね」
「へぇ」
「奥様のお誕生日、又は何かの記念日を急に思い出したとか、飲み会で遅くなったので、手ぶらよりはましかと、など。買って行かれる理由としてはこんな感じです」
「なるほどね」
銀時は納得して、改めて店内を見渡した。菜の花、マーガレット、すみれ、スズラン、カーネーションなど、花にたいして詳しくない銀時でも、名前がわかる季節の花ばかりが並べられていた。それは同じように花に詳しくない男性をターゲットにしているらしいこの店らしい気がした。
「贈り物をされて、喜ばない人はそうそういないでしょう?仕方ないわねぇ、そんな風に言って、温かく家にいれてもらえる方が増えるのなら、遅くまでやっている甲斐があるというものです」
「はは」
「お兄さんも、これから帰られるのですか?」
お兄さん、と言われてどこかむず痒さを感じた銀時だが、まぁおじさんと言われるよりは良いと思ったし、目の前の女性はどうみたって自分より年下にみえたので悪い気はしなかった。
「まぁ、帰るっていうかなんていうか」
「でも、お待ちになっている方がいらっしゃるんですね」
にっこり笑う女性をみて、なぜか知らないが銀時は全てを見透かされているような、そんな筈は無いんだけども、敵にしたら怖いタイプだなと瞬間的に感じ取った。
「まぁね」
「宜しければ、何か持って行かれませんか?」
銀時の桂との記憶の中で、花を贈ったことなど今まで一度たりともなかった。第一相手はあの桂小太郎で、電波で、天然で、アホで、男だ。世間の奥様方と同じような反応になるとは思えない。そもそも自分は帰りが遅くなっているわけでも、帰りを待つ桂が帰宅を待ちわび怒っているわけではないのだ。だが、渡した時にどんな反応をするのかは、若干気になるところではあった。銀時はしばしの逡巡のあと、薄っぺらい財布を取り出して、紙幣を一枚店員の女性に渡した。
「じゃあ折角だし、これで花束作ってくんね?」
「かしこまりました、ありがとうございます」
女性は銀時からお金を受け取り、ぺこりと頭を下げた。
「お渡しする方の、特徴などあれば教えて頂けますか?そのほうが、作りやすいので」
「えっ、特徴か…見た目とかってこと?」
「それも、もちろん性格、雰囲気などでも構わないのですが」
「ふーん、じゃあ見た目から…。まず髪は黒髪、ムカつくくらいのさらさらのロング。顔はまぁ整ってる方じゃねーの、綺麗…だと思うけど。性格は堅物くそ真面目、電波でアホがつくくらい頑固で、でも自分の中に絶対に折れない真っ直ぐな魂があって…ってなに?」
ふと、女性の方に視線をやると、女性が優しく微笑み銀時をみていた。
「いえ、お続けください」
「そ、そう」

それから十分ほどで、花束は完成した。
「如何でしょうか」
女性が渡してきた花束は、驚くほどの出来栄えで、銀時は唖然と目の前の花束を見つめた。桂に似合うだろうと、一目見ただけで思えた。
「おう、すげぇモン作ってもらっちまったな…それで足りる?」
「はい、もちろん」
女性はにっこり笑って、言った。
「どうぞ、その方によろしくお伝えください。そして次はぜひ、一緒にいらしてくださいね」
「えっ、あ、うん。考えとく」
曖昧に答えて、苦笑いすると、女性は笑顔のまま、こう言った。
「きっと、素敵な方でしょうね。お兄さんの顔、見ていればわかります」

顔が熱を持ったまま、銀時は夜道を歩いていた。ものすごいスピードで。
最後に言われた台詞で、自分が今までどれだけ恥ずかしいことをつらつら述べていたのか、ようやくわかった。それを静かに聞いていられる彼女も彼女だが、思い出しても顔が熱い。
息も切れ切れで、ようやっと桂の隠れ家にたどり着いた。相変わらず、こじんまりとした長屋で、そこには古びた表札がかかっており、桂と書かれていた。良いのかよ、書いて、と心でツッコミつつ、深呼吸をして息を整える。さて、手に持ってるこれをどう渡そう。背に隠せない大きさではないが、挙動不審にしていればすぐにばれてしまうだろう。それなら、さっさと渡した方が良い。

思い切って敷居をまたぎ、戸を開けようとした時だった。
「銀時か、こっちだ」
庭の方から声が聞こえた。玄関の横を通り、庭へ出て見ると、桂は縁側に腰かけ月を眺めていた。その傍には一升瓶とお猪口が置いてあった。
「遅かったな、迷ったか?」
「え、ああ…ちょっと」
「そうか」
さっさっと渡そうと思っていたのに、思わず背に隠してしまった。だが、桂は銀時の様子に気がつくこともなく、銀時を一瞥し微笑んだ後、また月を眺めた。もう先に飲み始めて、酔っているのだろうか。そう思って、銀時は桂にそろそろと近付いた。なるべく、自然に。

「今夜は、月が綺麗だな」
「…おう」
銀時は、少しだけ離れて桂の隣に腰かけた。桂の頬は、ほんのり赤く、月に照らされて独特の雰囲気が漂っていた。それに目を奪われていると、桂が首を傾げた。
「どうした?今日はやけに静かだな」
「これ」
勢いだった。今しかない、と持っていた花束を桂の顔面すれすれに差しだした。そうしないと、桂の表情を窺いながらでは言葉もまともに言えない気がしたからだ。まだ酒も飲んでいないのに、顔が熱くてたまらない。素面で、しかも今更長年の連れ合いに、花束を贈るとか。せめて酒を一杯二杯引っかけてでもないと、とてもできない行動だと改めて思った。
「……これ、は?」
「あー、いや、たまたま、ほんっとたまたま通り道に花屋があって、まぁなんとなく、買って行こうかなって…思って……ヅラ?」
全く反応が無くなってしまった桂を不思議に思い、銀時は恐る恐る差しだした花束をずらし、桂の顔をみた。その表情に銀時は、思わず息を飲んだ。大きく見開かれた目から、ぽろぽろと涙が溢れ出ていたからだ。
「えっえっえええええええ」
銀時は慌てて花束を置いて、桂との距離を詰める。頬に触れ、自分の着流しの袖で、溢れ出ている涙を拭う。
「なに、何どうしたの、なんで泣いてんの?」
「うっ、ぐむっ、わからんっ」
「なんでわかんねーんだよ」
やけくそにごしごしと乱雑に涙を拭ってやると、桂から痛いと抗議があがった。それでも暫くはやめず、袖で顔を擦り続けた。
「ぎんとき」
「わけもわからず泣くおめ―が悪い」
「そんなこと、言われても、だな」
落ち着いたかと手をはなせば、桂の涙は先ほどのような勢いはなくなっていた。ただ、たまに零れるものはあったが。銀時はふーとため息をついた。昔から、桂の泣き顔には弱い。桂は滅多に泣かなくて、泣くときはいつも相当なものを溜めこんだ後だったからだ。
桂はぱちぱち、と瞬きをしたあと、先ほど銀時が置いた花束に手を伸ばした。
「…本当にこれを、お前が」
「…そうです」
「そうか…」
少しの沈黙も居た堪れなくて、なんか言ってくんないかな、と桂のほうをちらちらとみていると、桂が未だに涙を少し流しながら穏やかに微笑んだ。
「すごく、綺麗だ」
そう言い微笑む姿は、桂が持つ花束と良く似合っていて。銀時は驚きで、眼を見開いた。
「思えば、お前から花をもらうなど、あったかな…。うん。すごく嬉しい、ありがとう銀時」
咄嗟に桂の手から花束を取って、持っていたその手を強く引き寄せた。桂の身体はぐらりと銀時のほうに傾き、すっぽりと銀時の腕に包まれる。すかさず、ぎゅうと抱きしめた。
「ぎ、銀時?」
抱きしめた桂の首筋に鼻を寄せて、大きく桂の匂いを吸いこむ。桂の匂いと、花の香りが混ざって銀時の鼻腔をくすぐる。
「あー、なんかもう。色々どうして良いかわかんない」
「意味が、分からんのだが」
桂に対する感情が、溢れ出て止まらない。今まで随分長い時間を過ごしてきたはずなのに、まだまだ、桂を想う気持ちがあるのか。そのたびに、こんなに苦しく、同時に桂が愛おしくなる。

「それにしても、よくこんな時間に開いている店があったな」
身体を離して桂の顔を見ると、桂の眼からはもう涙は出ていなかった。少しだけ目じりに溜まったものをぺろりと舌でなめると、桂が擽ったそうに身をよじった。
「ん、なんか夜だけやってる店って言ってた」
「ほう…今度案内してくれんか、こんな素晴らしい花束を作ってくれた御仁に会って、是非礼を言いたい」
「えっ」
桂の言葉に、銀時は固まる。どんな顔をして連れて行けばいいんだ。特徴を聞かれ、なんの疑問も持たず桂について語った。思い返せば、あれはただの惚気ってやつだ。思い出しただけで穴があったら入りたいくらいで。あの女性店員にはとても感謝しているが、できることなら桂を連れて会いたくは無かった。いや、本当恥ずかしいので。
銀時の歯切れの悪い反応に、桂の顔が険しくなる。
「…本当に買って来たんだろうな」
「なに疑ってんだよ!当然だろーが!」
「なら、案内してくれるな?」
「あー、うん機会があればね」
これ以上この事に関して言われたくなかったので、銀時は無理矢理桂の口を自分の口で塞いだ。隙間から桂の声が漏れる。
「……ん、おい、銀時っ、適当に流そうとしておらんだろうな」
「してないしてない」
「というか貴様酒を飲みに来たのでは」
「それは後で良いです」
「何の後だ」
「何ってそりゃー…言った方が良いの?」
「……いや、言わんで良い」
桂が諦めたようにため息を吐いて、銀時を真っ直ぐに見つめた。もう一度、さっきよりゆっくりと口づけをすれば、桂からも応えてきた。それに気を良くして銀時はにやりと口角を上げる。たまには、今更だと恥ずかしく思う気持ちを必死で抑えて、こうやって花を贈るのも良い。
「次は、夏、かぁ」
「ほう、また贈ってくれるのか?」
「まだ贈るとは言ってませんー」
「うむ、それは楽しみだな」
「無視かオイ」
「ふふ、楽しみだなぁ、銀時」
こんな風に、笑う桂を見られるのなら。

四季折々の花束を貴方に贈り、こうしてふたり、共に過ごそう。
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。