「ひまわりの初恋」


 それはとても美しい光景だった。
 一面に広がるひまわりの花。生命力に満ち溢れたその黄色い花、緑。その花達の中に入って微笑む小さな桂。
 夏の光景と呼ぶにはあまりにそれは美しすぎて。目を奪われた。
 胸に湧きあがった感情を何と呼べばいいのか知らなかった。ただ、愛しいと。そう思って――。
「ぎんと――」
 目を丸くする桂に自分がキスをしていると気づいたのは、桂の小さな手にバシンと叩かれてからだった。




――――――――――――――――

「どうしよう高杉」
「あ?」
 おおよそ今までに聞いたことのない、桂の弱った声に、驚いて無視しようと思っていたのについ声を出してしまった。
 村塾での授業が終わり、帰る間際。人は教室には残っていなかった。夕日が差し込む教室の中で、目の前に桂小太郎が立っている。
 高杉晋助は、目の前の幼馴染の桂小太郎が困った顔をしているのを見て、少し首を傾げる。
 先述の通り、自分と桂小太郎は幼馴染だ。しかし、まだ3年やそこらの付き合いだが、妙に女みたいな、整った顔をした幼馴染のこんな弱弱しい姿というか、顔はみたことがなかったな、と思う。
 いつものように難しい問題を前にして考え込んでいる、といった様子ではなく、本当にどうしたらいいのかわからない、といった様子で、眉を下げていた。
 高杉晋助という少年は、基本的に桂小太郎という少年のことが好きだった。面と向かって好きなんて、絶対に言えないものの、昔から一緒にいた桂を、家族のように、――姉のようにも思っていた。だからこそ――こんな困った顔をされたら少し胸が落ち着かなくなる。
「どうしたらいいのか、さっぱりわからないんだ」
「一体、何がどーしたってんだてめーは」
 続きを促すと、桂は少し視線を逡巡させた後、小さな声で、言った。
「ぎ、ぎんときが――」
 銀時。桂の口からその名前を聞いて、高杉は瞬時に自分ががっかりするのがわかった。またアイツか、と思う。一年前くらいに出会った白い子供。子供とは思えない強さで、子供とは思えないふてぶてしさで、自分と桂を翻弄した唯一の存在。そんな銀時と出会えたことは、同じ師につけることができた今となっては勿論、感謝も喜びもしているが、同時に高杉は銀時のことを憎からず思っていた。
 だって、と高杉は目の前の桂を見て思う。
 こいつは、あいつと出会ってからずっと「銀時」しか言わなくなった。
 今まで自分だけに向けられていた視線が、自分だけにかけられていた言葉がすべて銀時に持っていかれたことだけはやはり面白くない。
 まだ同じだけ構うならまだしも、桂の銀時への絡みは圧倒的に今までの桂が高杉に構うよりも多かった。
 だからこそ、今こうして桂の口から「銀時」と出たことにまた高杉は自分の機嫌が悪くなるのがわかった。
「……高杉? どうしてそんなに不機嫌そうな顔をしているんだ?」
「別になんでもねーよバカヅラ。で、あの天パがどうしたってんだ」
「ど、どうって言うとだな……」
 珍らしくどもった桂は、そのまま言葉を濁してぼ、と顔を赤くした。なんなんだ一体。この反応じゃまるで―――
「てめ、あの天パになんかされたのか」
「う……」 
 図星だった。
 当てたくない勘はこういうときだけ当たる。まったくもってありがたくない。
 目の前の桂はますます赤い顔になって、困ったように眉を下げた。
「誰にも、言わないと約束してくれるか」
「先生にもか」
「先生なんてもっての外だ!! 誰にも言わないでほしいのだが……」
「わかったから、さっさと言え」
「銀時にせ、接吻をされた」

 ……は?

 一瞬桂の口から出た言葉が理解できなくて、もう一度高杉は自分の中で繰り返した。
 
 接吻。せっぷん。

「……銀時、殺すか?」
「いやいやいや待て高杉。なぜそうなるのだ。……いや、そうなってもよいのか?」
 高杉の肩に手を置いてぶんぶん首を振った桂だが、しばし考えてやっぱりおかしい、といったような顔になった。
「高杉、俺は男に見えるか、女に見えるか、正直に答えてくれ」
「……まあ女に見えなくねーこともねーが、おめーが男だってことは村塾ならみんな知ってんだろ」
「そ、そうなんだが、もしや銀時は俺をおなごと間違えたという可能性はないか?」
「おい、俺たちとあいつが出会ってもう一年だろ、バカが。それはねーよ」
「じゃ、じゃあなんで銀時は俺に接吻したんだ?!」
 混乱のあまり大きな声を出した桂の口を高杉はすかさず手でふさいだ。桂もすぐにはっと口を閉じて赤くなる。
 に、しても。と高杉は思う。
 あの白髪、とうとう手出しやがったか、と。
「しらねーよ、本人にきけ」
「き、きけるかバカ者! 第一俺はそのあとすぐに銀時を突き飛ばして逃げてきてしまったんだ……」
 どうしよう、と青い顔をする桂にどう声をかけていいかわからずに、高杉はひとり、考える。
 あの白い天パが桂小太郎を好きだということはうすうす感づいてはいた。本人すら気づいていないだろうが、時々桂を見て顔を赤くしてはぶんぶんと顔を振っていたからおそらくそうで、今日の桂の報告で確信した。
 別に人を好きになるのは個人の自由である、と高杉は思うが、でもなんにせよ相手がおかしい。なんせよりによって同じ男の桂小太郎だ。
 まあ、分からなくはない、というか高杉も正直最初は女の子だと思って意識くらいはしたものだ。すぐに性別と言動で我に返ったが。しかしそれくらい桂小太郎はかわいらしい顔立ちをしている。
 しかしまあ、キスされて突き飛ばしてしまって、それでもその行為自体に嫌悪感を感じたとか、そういうことではどうやらないらしく、桂小太郎はただ混乱しているらしい。これはいったいどうアドバイスをしてやればいいのか。
 高杉自体、銀時に桂をとられては面白くない。だから、というわけではないがひとつ銀時にとってマイナスになるであろうアドバイスをしてやることにした。
「銀時のことしばらく避けたらいいんじゃねーの」
「避ける……? 俺が銀時を、か」
 思ってもみなかった、という風な顔にいらっときたが、高杉はそうだ、とうなずく。
「避けてしまっては、ますます今まで通りには戻れなくなりそうなんだが」
「お前はいままでみたいに戻りたいのか?」
「う、……うん。そうだな。今みたいに、こじれているのはいやかもしれん。元に戻れたら、それが一番良いのかもしれんな」
「じゃあまあものは試しに一週間だけでも距離おいてみたらどうだよ」
「え」
「離れて気づくこともあるかもしれねーしな」
 高杉がそういえば、桂は考え込むしぐさをして、そのあと顔をあげ、「そうかもしれぬ」とつぶやいた。
「だろ?」
 まあ、その一週間で、あの白髪天パは相当悩むかもしれないけれども、いい気味だ、と高杉は心の中で思い、桂に笑いかけた。
 それくらい、姉のような桂にキスした罪は重いのである。


――――――――――――― 

「せんせーはさ、取り返しのつかないことしちゃったら、どうする?」
「取り返しのつかないこと? たとえばどんなことですか?」
 
それが言えたら苦労しないんだって。
桂にひまわり畑でキスをしてしまってから翌日。いつもの塾にもなんとなく行けずにサボって家で松陽にこってり叱られていた最中に、ふと質問してみたけれど、やっぱり松陽は察してはくれないし、これは察されても困ることだと今更気づいて銀時はう、と顔をしかめて「やっぱいいや、」と目の前の松陽から目をそらした。
それを見て松陽は目を丸くして、「そうですか?」とあいまいにほほえむ。

「銀時の言う取り返しのつかないことはわかりませんが、そうですねえ。まずそれが悪いことであれば誠心誠意謝ります」
「……やっぱ、悪いのかな」
「自分でもわからないことなのですか?」
「いや、なんつーかさ、衝動的にやっちゃったんだよ、別に悪いとかなんも考えなかった」
 そう言いながら銀時は昨日のことを思い出す。
 
 昨日はそう、いつもように桂が探検しよう、なんて言い出すから珍しく乗ってやっただけだった。そうしたらいつの間にかきれいなひまわり畑に遭遇して――そこで、ひまわりと一緒に微笑む桂が、あんまりにもきれいで、愛しく思えたから、気づいたら、キスをしてしまっていたのだ。

 桂小太郎は男だ。そんなことは知っている。だから、自分が今抱いているこの謎の感情がおかしいということも、銀時はわかっていた。というか男でなくても勝手にキスしていいわけがない。でも本当にあの時は理屈ではなくて、体が勝手に動いてしまったのだ。
 こんな気持ち、というか衝動は今まで生きてきて感じたことがなかった。
「衝動……ですか。銀時の口からそんな言葉を聞くようになるとはね」
 ふふ、と笑った松陽は銀時に近づいて、そっとその頭を撫でていう。それがくすぐったくて少し身をよじらせるても松陽は笑っている。
「やっぱ、謝んなきゃだよな……」
「そうですねえ。相手が嫌がっていたならそれは謝らなければ」
「わかった……」
 正直いろいろ見透かされているような気がしたのだが、銀時はその言葉にうなずいた。
 明日絶対に謝ろうと。そう決意した。
 だって、やはり桂小太郎としゃべれないのは嫌なのだ。


――――――――――

「ヅラ今日あいついないの?」
「あ?」
 翌日。教室に入って銀時はすぐに桂を探したが、桂は教室にはいなかった。代わりに桂の近くにいた高杉に声をかけたらなぜかものすごいいきおいで睨まれた。
「あいつは、テメーに会いたくねえんだとよ」
「は? なんでオメーがそんなこと知ってんだよ」
「ヅラがそういってたぜ?」
 どや顔でそういう高杉に腹が立って一発殴ってやろうかと思っていたら、やっと桂が教室に入ってきた。一瞬目が合って、あ、と思ったものの、その瞬間桂はものすごい勢いで銀時から目をそらした。
 え、と銀時が固まっている隣で、高杉は楽しそうに笑っていた。
 やっぱり、キスしたことを怒っているのか、と気づいて銀時は改めて頭が痛くなった。なんであんなことをしたんだ、と言われても自分に明確な理由なんてないし、自分の中でも桂に抱く感情に整理がついていないのだ。
 そんな状況なのに謝らせてももらえないとなると、本当に、どうすればいいのか銀時はわからなかった。
「ヅラ!」
 耐え切れなくなって桂に呼びかけると、桂からはかすかな声が返ってきた。挙動不審なその様子にいやな予感がする。そのまま見つめていると桂がじれったそうに、つぶやいた。
「銀時……あの、少しの間、距離を置いても、良いか」
「は?」
「じゃ、じゃあそういうことだからすまん!!」 
 桂は小さな声でそうとだけ言うと、またバッと銀時から目をそらして行ってしまった。

 やっぱり自分はとんでもないことをやらかしたのだ、と。その時になって銀時はようやく気づいた。


――――――――――――

「……はあ、」
ああ、まったくどうしよう、と桂小太郎は桂小太郎で、また頭を抱えていた。
 桂が銀時と話さなくなってからかれこれ一週間が経とうとしていた。正直、こんなに長く話さないつもりはなかった。自分の中で少し気持ちが落ち着いたら、ちゃんといつも通り銀時と話そうと思っていたのだ。なのに、どうして話せなくなってしまったのか。自分でもわけがわからなくなっていた。
 まず第一に、銀時の顔を見ると、なぜか胸がどきどきしてきてしまうのがひとつ。何かの病気にでもかかったのか、と思ったが銀時を見たときだけにしかかからないからそれは違うか、と思う。
 そしてもうひとつは、銀時も目を合わせなくなってしまったことが理由としてある。こっちとしてはありがたいのか悲しいのかよくわからなかった。

 あの時の接吻ひとつでここまでこじれてしまって、どうしようか、と桂は思う。そもそもあんな接吻のひとつやふたつで突き飛ばして、さらに距離を置こうなんて言った自分が悪いのか。
 もはや接吻のことはどうでもよくなっていて、桂の頭にあるのはただ、銀時と元通りになりたい、ということだけだった。
 いつものように話したい。笑いあいたい。遊びたい。銀時を見るとわけわからない感情が湧き上がるけれど、そんなことはどうでもいいと思う。自分はとにかく、銀時という存在を失いたくないのだ。

「――というわけで高杉、頼む。何か助言をくれ」
「はあ? なにがというわけだよ」
「以前のように……やっぱり俺は銀時と話したい」
 そういうわけで現在、桂は高杉の前にいた。いつものように学校ではなく、あの日銀時にキスされたひまわり畑の前である。
「で、なんでテメーは俺をここまで連れてきたんだよ」
「いや、あの時の銀時の気持ちを少しでも理解しようと思ってだな。ここにくれば何かわかるかもしれないと思ったのだ。そう、たしかあの日俺はひまわり畑があまりにもきれいだったから少々はしゃいでしまったのだ」
「それで?」
「ん? それでひとつのひまわりをじっと眺めていたら突然銀時が近づいてきてだな、そこで、もう、ぶちゅっと」
「……」
「どうした高杉、何を黙っている」
「……いや、銀時のやつの気持ちもまあほんの少しはわからなくもねえと思っただけだ」
「なんだと?! やっぱりこのひまわり畑は人に接吻したくなるような何かがあるのか?! 俺にはまったくわからないが!」
「んなことじゃねえよバカヅラ。 てめえ、もうめんどくせえから直接あいつと話せよ。呼んでくるからよ」
 高杉は心底めんどくさそうにそういうと、身を翻して行ってしまった。ここから銀時の住む松陽の家はそう遠くはないだろうから、すぐ来るだろうと思う。

 それまで桂は一人でもう一度考えてみることにした。

 自分にとって、銀時はどういう存在か。
 
まだ銀時はこういう人間だ、と大手を振って語れるほど長くいるわけはない。しかし、すでに家族のように大切な存在であるとは思う。
 しかし、家族のように思っているのに、なぜ接吻をされてから銀時を見るたびにどきどきするのかが分からなかった。こんな感情は初めてだし、自分でもなんなのか見当もつかない。

 やっぱり今日、銀時と話せば何かわかるのだろうか。
 
 しばらくそんなことを考えていると、不意に名前を呼ばれた。最近聞いていなかった声にすぐに振り返る。しかし、てっきり二人いると思った後ろには、なぜか銀時ひとりしかいなかった。
 いつものように白いふわふわした、桂の大好きな髪の毛が目に入って桂はそれに触りたいな、と思った。だって、もう一週間も触っていない。それでもそんなことは頭の隅においやって、桂は銀時に近づいた。

「ぎん、とき」
「……高杉のヤロ―が呼んできたんだけど、なんだよ」
 先に距離を置こうといったのはこちらとはいえ、二人きりになってもやはり銀時は桂の目を見ようとしなかった。少しそれに傷ついている自分に気づいて桂はすこしはっとする。しかしすぐに気を取り直して、桂はしっかりと銀時を見た。

「銀時、わがままかもしれないが、やっぱり俺は以前のように、お前とまた話したり、遊んだりしたいんだが、いけないだろうか」
 気づいたら、自分はそんなことを口にしていた。

 なぜこの間キスされたのかとかは、どうでもよくなった。今はただ、目の前の存在に、こちらを向いてほしい。それだけだった。
 だって、やっぱり、胸は変だし、むずむずもするけれど、やっぱり自分にとって銀時は失い難い友人なのだ。

 桂のその言葉を聞いて、銀時はようやくぎこちなくこちらを向いた。そのままものすごくバツの悪そうな顔をしながら、銀時は「あのよ、」と口を開く。

「……この間、変なことして、悪かった」
「変なことって、ああ、あの接吻か」
 なんかもう、銀時と仲直りしようと思っていたらすっかり忘れていた。

「……嫌なことして、悪かった。あんなことするつもりじゃなかったのに、気づいたらしてた」
 珍しく頭を下げた銀時に桂はえ、と固まる。なんで謝られているのかよくわからなかった。
 たしかに驚きはしたものの、あの行為自体は別に、嫌だとは自分は感じていなかったのだ。ただあの時は驚いてしまったのだ。だってそんなことは男女でするものだと思ったから。

「べ、別にもう気にしていないぞ銀時。最初はびっくりしたけど、別に嫌じゃなかったしな」
 桂がおずおずとそういうと、それを聞いた銀時がなぜか勢いよく頭を上げた。
「は? それマジかよ」
「え? マジだが……。嫌、っていうか、なんだろうな、胸がむずむずした」
「……」
 桂がおっかなびっくりでそういうと、なぜか銀時は顔を真っ赤にして、それからその場にしゃがみ込んだ。
 具合でも悪くなったのかと思って急いで桂もしゃがんでその顔を覗き込むと、銀時は真っ赤な顔をして、口を押さえていた。

「ぎんとき?」
「……じゃあ、お前また俺にされてもいいわけ?」
「銀時がしたいと思うなら、おれは構わないが……」
 あり? これは構ったほうがいいのか?

 自分でもよくわからなくなって、桂もどんどん自分の顔が熱くなるのがわかった。二人して赤くなりながらも、嫌な気は全くしなかったから、桂はただ銀時をみつめる。

「じゃあ、これからは普通にしろよ、オメー」
「も、もちろんだ。銀時と話せないのは、寂しいからな」

 間髪入れずにそういえば、より赤くなった銀時にバシンとはたかれた。
「なにをするんだ」
「うるせえバカヅラ……」

 顔を手で覆ってしまった銀時を見てもしかしたら、と桂は思う。
 もしかしたら銀時も、自分と同じでわけのわからないこの感情に振り回されているのかもしれない、と。
 
 むずがゆくて、少し苦しいけれど、嫌じゃないこの感情。
 もしかしたら自分が今銀時の髪の毛に触れたいと思っているのも銀時が桂に接吻してきたのと同じものではないかと思う。

 ひまわり畑をながめながら、自分も銀時も、いつかこの感情の意味がわかるのかもしれない、と。桂はそう思ってふう、とほっと息をついた。
 
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。